Essay

生きるのに誰かの許可なんていらない

Yuri

星読みって「こういう才能があるよね」と言われるのと同時に「直すところがいっぱいあるよ」って言ってくるのもあるし、ひたすらに慰めてくれるのもある。

でも私はそういうのとは、また違うのやりたいなって思ってた。

取り繕うとか、嘘で覆うとか、そういうのをしないで生きていける道標や勇気になれそうなのがいいなと思ってた。

あらゆる星読みは、大昔から存在するものだけれど、どうやって読むか、どうやって生かすかは、時代ごとの感覚や読む人の経験が必ず乗っかっていく。

だからどうしても星によっては「こういう星はこうなる傾向があるから気をつけた方が良い」とか、人に迷惑をかけないように周囲との調和を図って、その人自身の一部を制御するようなものが少なからずあった。

もちろんそれでうまくいっていた時代もある。

けれどそうやって、ある面では人を平均化することで摩擦の少ない関係性を作ってきたのだと思う。

でも今なら、摩擦があったからといって、その人の性格や性質を変えるのではなく、その人に向いている環境や生き方にシフトするという方法が取れる時代になってる気がする。

もし、本人も生きづらいし、どこにいっても同じ嫌な思いやトラブルが繰り返される、というのであれば、それは持って生まれた性質が悪いのではなくて……、星型やハート型で生まれたのに、無理やり丸の型に押し込まれてできた〝歪みや抑圧〟のせいだと思う。

その歪みや抑圧されたエネルギーが跳ね返って自分を傷つけたり、はたまた誰かを傷つけたり、何かを壊したりする。

だから生まれ持った性質を抑えるのではなくて

「本当はおもしろい形しているから、無理やり丸くなって生きる必要はないのよ」

と、受け入れることだし

「自分のまま生きることを許可する」

または

「生きるのに誰かの許可なんていらない」

という表現の方がしっくりくる人もいるかもしれない。

そうやって自分を受け入れ、

許可することができれば、そういう目線で他者を見ることもできる。

ああ、あなたはそういう人なのね!

私にはよくわからないけどオッケー🙆‍♀️

と言える世界。

お互いを受け入れよう!

と言う人が現れると、なぜか「共感できないから無理」という発想が生まれたりする。

無理矢理共感しようとしなくていいけど、自分の共感できる範囲外の人に

「存在するな!」

と言ったりする人もいる。

こうやって自分の思う通りに他者を変えようとして、相手を傷つけたりするってことは

その人は今まで、どれだけ自分自身に

「〜すべきだ」「〜あるべきだ」

という枠に、どれだけ自分をぎゅうぎゅうに詰め込んできたんだろう?

そういう人こそ、すごく我慢して、枠の中でがんばって生きてきたんだと思う。

私は少し前に腹を括ったことがある

それは本気で、『全員を愛する』と決めたこと。

(大真面目に!)

今の私がいう『愛する』というのは、相手に対して、自分というフィルターを通したジャッジを一切しないということ。

「ジャッジをしない」は、「我慢」ではない。

もし、誰かのどこかを否定してしまう自分がいたら

それはきっと〝自分の中の何かを否定して生きてる〟ってことなんだと思う。

偉そうに書いているけど、今だってジャッジしそうになる瞬間がある。

その瞬間に

「そうか私はこういう価値観を持っているんだな」

「まだ私は〝こういうふうにしなくてはいけない〟という縛りを持っているんだな」

と1つ1つ気づいて、

自分にひたすら落とし込んでいくきっかけにさせていただいている。

そうして、多様な

  • 私はこういうのが好き
  • 私はこういう生き方がしたい
  • 私はこういう価値観を持っている

というものに触れて

「へー!私と違うけどそこがおもしろいね!」

と感じる範囲がどんどん広がっている。

こういう考えに抵抗があるのなら『誰かが我慢しないと成り立たない』という世界に生きているということ。

本当は

誰かの嫌なことは、誰かの好きなこと

誰かの苦手なことは、誰かの得意なこと。

我慢して自分に合わせない席に座っているのなら

それに気づいて、自分の座りたい席を探しにいけばいい。

みんなが自分らしく生きたら大変なことになるという発想は

実は、自分らしく生きていない人が暴れ回っている姿を想像しているだけな気がする。

(それだけ自分らしく幸せそうに生きている人に出会えなかったのかもしれない)

自分のことを大切にできなくて、自分のストレスを誰かや何かに投げつける人たちの集まりのように想像してしまうのかも。

自分らしく生きること=人に迷惑をかけること

ではない

むしろ自分らしく生きることで喜びを感じたり、感謝の気持ちが生まれたりして、周りの人にも優しくなる。

誰かのために何かしたくもなる。

嫌々やる親切や、自己犠牲という形ではなく、自分が「そうしたい」と思ってやったことが「親切にしてもらった」と相手が感じてくれているだけ。

と、こうやって言うのは確かに簡単。

「どうやっていいかわからない」人も多いはず。

今まで色々やって、自分も変わったし、他の人も変わったなと深く実感している方法は

自分が

「大したことない」

「大丈夫」

と言っていた

今現在、過去傷ついたことやら何やらを

「大したことだった」

「本当は大丈夫じゃなかった」

と自分が認めてあげること。

何が一番辛いかって

自分が自分のことをわかってあげてないことだから。

本当の意味で、自分が自分の一番の理解者になったとき、心に空いていた穴が埋まっていく。

そこからは満たされる一方だと言っても過言ではない。そうして、ようやく型にはめていない、本来の自分の姿形が見えてくる。

自分らしく生きることはある意味怖いこと。

今のところ

心から嫌だと思うことからは退いて

心から怖いと感じることに向かっていく

という指針が〝自分〟というものに近づける判断基準な気がしている。

(でもこれも10年経ったら変わっているかもしれないし、もっと若い世代には通じないかもしれない)

こうやって自分らしく生きる道のりが険しく感じるのは、私たちの代で終わったらいいなと思う。

今、私たちが勇気を出して、怖いと思うことに挑戦してみる。または「えっ?こんなことでいいの?」と自分が楽だと思う道に進んでみる。

そうして、みんなが自分らしく生きた結果、デコボコの人たちばかりになって、それがパズルのピースみたいに助け合い、支え合いとなって

結果、調和してるじゃん!

な世界になっていったらいいなと思う。

何より、みんながご機嫌で楽しそうな人たちばかりの国になったら最高だな。

ABOUT ME
寺山 由利
寺山 由利
星詠師・四柱推命・タロット / 猫のしもべ
生きることに希望を抱けない。自信がない。そんなところから始まった人生でしたが年を重ねるごとに、たくさんのことを学ぶごとに、希望が増え、穏やかな自信を抱けるようになり、幸せを感じる瞬間が増えていきました。 『自分のことがよくわからない』と感じることも多かったのですが、タロットや星を通して理解が深まり、悩みの種となっていた自分自身の性質さえも、愛せるようになっていきました。 そして、たくさんの人と話すうちに、世間のいう価値観に合わせ、自分を抑えている人が多いことを知りました。お話ししていて、〝可能性は無限大だ〟と、感じることが多くあります。 だからこそ、その人だけの特別な人生を歩めるような後押し、お手伝いができたらと思っています。 【好き】動物、自然、音楽、アート、神社仏閣 【経歴】音楽→デザイナー→広告代理店→WEBメディア編集長・MG→ナレーター→就労移行支援施設・支援相談員・講師→マーケティング
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